速魚の船中発策ブログ まとめ

















































































2015-12-12 
トルコ まとめ          
2015-12-8  
ユダヤ人問題 まとめ
               2015-11-20 
 テロ事件 まとめ
            
2015-10-18 
 韓国問題まとめ       

2015-10-10  
マイナンバー制度

2015-10-8  
TPP 
 
2015-9-7   
難民・移民政策

2015-8-26  
株式市場の本質

2015-8-17  
中国バブル崩壊 





トルコ




トルコ  まとめ


  トルコ空軍によるシリアでのロシア航空機の撃墜より、急に第3次世界大戦が話題になってきました。第1次世界大戦はバルカン紛争のなかで起きました。
 シリアでのイスラム国の問題でこじれにこじれれば、可能性がないわけではありません。 原爆を持ってしまった人類の叡智・英知を信じるほかありません。

  この場になっても、イスラム国と話し合って解決するべきだと、発言する人々がいます。 ナチと話し合ってユダヤ人がすくわれたのでしょうか? チャーチルが登場するまでのイギリスが康和・融和的な政策でナチに対処しましたが、ナチに戦争を避けようとする意識があったのでしょうか?


   
      緊急提言  国連軍創設
      http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank004.html#国連軍創設


                        2015-12-12





 ガリポリの戦いとトルコの近代化  
    
  

        
      ケマル・アタチュルク 1881-1938


第1次世界大戦の時にはオスマン帝国はドイツと伴に連合国と戦っていました。
英国のチャーチルは海軍大臣でイスタンブールの占領を目指して作戦を立てます。ガリポリに上陸後オスマンの首都を陥落させ、黒海との通航の自由を確保して味方のロシアとの連絡を確保するのが作戦の目的でした。
 ガリポリ上陸作戦はケマル・アタチュルクの活躍で失敗に終わり
ます。近代の上陸作戦では待ち構えている敵の3-5倍の兵力を準備しなければ難しいという教訓を残しました。
 オスマントルコは大戦に敗戦した。戦後にケマル・アタチュルクは救国の英雄として祖国解放運動の指導者になりトルコ共和国を建国します。


 彼は今話題のイスラム国が自称しているカリフ制の廃止をする。神秘主義教団を閉鎖したり宗教勢力を一掃して欧化政策を推進した。


 現大統領のエルドアンはイスラム原理主義を扇動した罪を問われて4年半の実刑判決を受けた人である。先般の暴動騒ぎの原因は承知しませんが、ケマル改革の修正に動いているように外からは見えます。イスラム国に対するトルコの対応も明確にはいかないようです。ケマルは婦人の参政権を認めたりスカーフの着用を禁止しました。イスラム過激派ではノーベル賞の若い女性を銃撃したり、
アフリカで数百人の女高生を誘拐しています。イスラムの古い時代への回帰運動が隆盛です。トルコがそちらの側に行ってしまうと、一信教どうしの大宗教戦争が懸念されます。EUがトルコの加盟に迷っている時間は無いのかもしれません。


キリスト・イスラム・ユダヤ教は仏教・ヒンズー教と違い同じ穴のムジナです。
歴史的にも共有した時代があります。イスラムの近代化をトルコの発展で証明して及ぼすもの以外の方法があるのでしょうか? 欧州とトルコの動きに今世紀がかかっているように見えます、注目が必要です。大親日国のトルコとは遠すぎるので同盟を結んでも意味をなさないけれど、日本にできることはあるはずです。



       2014-12-21





   エルトウールル号の日本訪問計画  


   
    

 トルコ政府はエルトウールル号を再建して日本に周航させると発表しました。その帆船の遭難事件は少しは世間で知られるようになりました。
 その船は明治23年に紀伊半島南端の串本町沖で遭難して500名以上の犠牲者をだしました。貧しい地元漁民が懸命の救出活動で69名を救助して、親身になって介抱にあたった。生存者を海軍の比叡と金剛でオスマントルコに帰国させました。これをきっかけにして現在までトルコとの友好関係が続いています。トルコの教科書に取り上げられていて、トルコの庶民レベルにまで良く知っている事実となっています。
 イラン・イラク戦争の折には、日本航空が現地行きを拒否するなかで、トルコ政府はイランからの日本人脱出のために救出の飛行機まで派遣してくれました。

 ウクライナの内戦がおきています。その取材でウクライナの老人から日本は信頼できる国であると云われたといいます。 ウクライナやポーランドの人々は日露戦争のときにロシア国民として従軍しています。彼らが捕虜になったときに日本人からの待遇に公正なものを感じて子孫に伝えたことによるエピソードでしょう。シベリア出兵のときのポーランド孤児の救出も現在まで続くポーランドとの友好になっています。庶民が無私な気持ちで尽力したことは大きな遺産となります。

       2015-3-29


   追記 1

  12月に映画化されて上映されます。予告編をみました。期待します。

       2015-8-14


     追記 2 
        

         
         kuhimoto号 復刻機

イラン・イラク戦争時に215人の邦人を救出したトルコ航空機のデザインを復刻した特別塗装機Kushimoto号が11月30日に来日しました。 エルトウールル号の遭難の合作映画の記念イベントのための来日です。

 日本航空が救援を拒否したなかでの、トルコの恩返しのための救援でした。 昨今の安全保障の論議のなかで、この話が登場しないのもおかしな話でした。国策航空会社の会社とパイロットは何を考えているのだ。だから会社が傾くのもおかしくない話です。



          2015-12-2





    映画 海難1890  トルコとの絆 

  

 トルコで行われたG20で、安倍首相とエルドアン大統領がこの映画を2人で鑑賞しました。 首脳同士の鑑賞は極めて異例です。

12月4日より日本で公開中で、見てきました。トルコでも200館で上映されるとのことです。 あちらの教科書に載っている歴史的事件ですから、日本よりもよく知られた事件・事実です。 
 この映画では日本的なデイテールはよく描かれていますが、トルコの庶民に細かいところを知ってもらうには難しいだろうと感じました。海難救助の場面より爺爺にはテヘラン空港の場面の方が感動的でありました。日本人がむしろ見るべきものでしょう。

 阿部さんは、これだから今年の集団的自衛権が必要だと、得意満面が想像されます。しかしG20のトルコに居たときにパリでの多発テロが起きました。イラン・イラク戦争のときのような緊迫はなかったにしろ、パリから急遽脱出したい日本人は大勢いたはずです。首相専用機はイザというときのために邦人救出のためのものです。自分は民間航空で帰国してなぜ、パリに救援機を差し向けなかったのでしょうか? いつもの得意の都合のいいところだけ主張して満面の笑みをした阿部さんが目に浮かびます?




        
        エルドアン大統領と安倍首相



  1877-78  露土戦争
  1878   練習艦隊・清輝がオスマン表敬訪問
  1889   エルトウールル号 出航
        明治天皇に親書を送る
  1890   樫野崎で座礁沈没、生存69名
        戦艦金剛と比叡で送還  
  1985   イラン・イラク戦争の在留邦人をトルコ航空が救出


   友好 125周年記念コンサート  トルコオスマン音楽隊  11分
   https://www.youtube.com/watch?v=kWrhSYxj8PY 


          2015-12-6





      露土戦争  
   

  オスマントルコの最盛期はアルジェリアから地中海をぐるっと囲んで旧ユーゴスラビアやウクライナまで領有しました。 ビザンチン帝国を滅ぼし、ウイーンに迫るなど盛況を誇りました。


織田信長上洛して天下統一にとりかかったころ、日本の中世から近世になったころより露土戦争は始まっています。 たまにトルコが勝利しても現状維持をしただけで第1次世界大戦の敗戦まで、オスマントルコの領土は縮小していきます。
 ロシアの南下政策・露土戦争に敗れてトルコは滅亡したといってもいいでしょう。



 だから日露戦争(1904-05)で日本がロシアに勝利したことにトルコの国民は大喜びするはずです。


 それにしても350年あまりにわたって絶え間なく戦争をするというのは、海に囲まれた島国の我々には想像できないことです。幸せでもあります。


  

  













  
 
第1回 1568ー70  ロシア勝利  コンスタンテイノープル条約
(1571 レパントの海戦 オスマン大敗)

第2回 1676−81 引き分け パフチサライ条約
ドニエプル川を挟んでロシアとオスマンの国境決定

第3回 1686−1700  ロシア勝利  コンスタンテイノープル条約 
アゾフをロシア領有黒海の入り口を得る
(1683 第2次ウイーン包囲 オスマン失敗)

第4回 1710−11  オスマン帝国勝利  プルト条約
アゾフ返還(大北方戦争1700-21 オスマンはスエーデンに加勢)

第5回 1735−39  引き分け  オーストリア露側で参戦、ニシュ条約とベオグラード条約

第6回 1768−74 ロシア勝利  キュチュク・カイナルジ条約
第1次露土戦争


  

赤ロシア、緑オスマン、赤緑斜線ロシアへ割譲、黄色緑斜線クリミア・ハン国

第7回 1787−91  ロシア勝利 ヤン条約、第2次露土戦争
1783 クリミア・ハン国ロシア併合


  

赤ロシア、緑オスマン、赤緑斜線ロシアへ割譲

第8回 1806-12  ロシア勝利  ブカレスト条約、第3次露土戦争(1812 ナポレオンのロシア遠征)

第9回 1828−29  ロシア勝利 アドリアノーブル条約   第4次露土戦争ギリシャ、セルビア、モルダビア、ワラキアの自治容認、ドナウ河口など割譲、

第10回 1853-56  クリミア戦争 オスマン勝利 英仏支援 パリ条約

第11回 1877-78   ロシア勝利 バルカン諸国独立 サンステファノ条ベルリン会議、狭義の露土戦争セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの独立、大ブルガリア公国の成立
1877 日本海軍練習艦隊 オスマントルコ訪問
1880 エルトールル号の日本訪問と遭難

第12回 1914-18 第1次世界大戦 トルコ敗戦、アルメニア人虐殺おこる

1922 オスマントルコ滅亡


      2015-9-27


   ウクライナの歴史
   http://hayame2.sakura.ne.jp/new1003059.html#ウクライナ
   ポーランドとの友好
   http://hayame2.sakura.ne.jp/new1003.html#ポーランド
   ポーランド近代史
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#ポーランド近代史