学制改革

奨学金改革

留学生の奨学金問題

高校生のアジア留学

教育の目標と評価

小学校の教育目標

教員について

社会人の再教育

個人ベースを主体に

デカンショ時代の再現

大学への資源集中

学区制

教育の機会均等

管理者の教養教育

哲学と国際競争力

幼児教育と音痴

高校の歴史教科書

高校の音楽と人生の楽しみ

高校のクラブと美術

マネル

平均点の教育

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育

研究者の給与

芸大の教育

AO入試とSTAP
細胞

天才つぶしと小保方さん


社会・時代が作る教育  元首ダンドロの場合

小保方さん特定秘密保護法

錦織さんとスポーツ教育

運動会の中止

中村さんノーベル賞受賞

リクルートと教育

ドイツの教育事情

ちゃんぽん食べたかあ
 追補 戦友
     
松下村塾生のその後

慶応大学入試

天野清三郎
 松下村塾生 その1











































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































学制改革

奨学金改革

留学生の奨学金問題

高校生のアジア留学

教育の目標と評価

小学校の教育目標

教員について

社会人の再教育

個人ベースを主体に

デカンショ時代の再現

大学への資源集中

学区制

教育の機会均等

管理者の教養教育

哲学と国際競争力

幼児教育と音痴

高校の歴史教科書

高校の音楽と人生の楽しみ

高校のクラブと美術

マネル

平均点の教育

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育

研究者の給与

芸大の教育

AO入試とSTAP
細胞

天才つぶしと小保方さん


社会・時代が作る教育  元首ダンドロの場合

小保方さん特定秘密保護法

錦織さんとスポーツ教育

運動会の中止

中村さんノーベル賞受賞

リクルートと教育

ドイツの教育事情

ちゃんぽん食べたかあ
 追補 戦友
     
松下村塾生のその後

慶応大学入試

天野清三郎
 松下村塾生 その1























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































学制改革

奨学金改革

留学生の奨学金問題

高校生のアジア留学

教育の目標と評価

小学校の教育目標

教員について

社会人の再教育

個人ベースを主体に

デカンショ時代の再現

大学への資源集中

学区制

教育の機会均等

管理者の教養教育

哲学と国際競争力

幼児教育と音痴

高校の歴史教科書

高校の音楽と人生の楽しみ

高校のクラブと美術

マネル

平均点の教育

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育

研究者の給与

芸大の教育

AO入試とSTAP
細胞

天才つぶしと小保方さん


社会・時代が作る教育  元首ダンドロの場合

小保方さん特定秘密保護法

錦織さんとスポーツ教育

運動会の中止

中村さんノーベル賞受賞

リクルートと教育

ドイツの教育事情

ちゃんぽん食べたかあ
 追補 戦友
     
松下村塾生のその後

慶応大学入試

天野清三郎
 松下村塾生 その1








































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































学制改革

奨学金改革

留学生の奨学金問題

高校生のアジア留学

教育の目標と評価

小学校の教育目標

教員について

社会人の再教育

個人ベースを主体に

デカンショ時代の再現

大学への資源集中

学区制

教育の機会均等

管理者の教養教育

哲学と国際競争力

幼児教育と音痴

高校の歴史教科書

高校の音楽と人生の楽しみ

高校のクラブと美術

マネル

平均点の教育

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育

研究者の給与

芸大の教育

AO入試とSTAP
細胞

天才つぶしと小保方さん


社会・時代が作る教育  元首ダンドロの場合

小保方さん特定秘密保護法

錦織さんとスポーツ教育

運動会の中止

中村さんノーベル賞受賞

リクルートと教育

ドイツの教育事情

ちゃんぽん食べたかあ
 追補 戦友
     
松下村塾生のその後

慶応大学入試

天野清三郎
 松下村塾生 その1






















































































































































































































































































































教育改革




6. ; 教育改革   船中八策

   学制の改革 5-3-3-3-5制、



  国立大学の成績優秀者1割程度へのの生活費の支給。

  3割は学費の免除・学金改革


  社会人の再教育を両輪とする教育。






  学制改革

   5-3-3-3-5制


 自民党が学制の改革案を提出するようです。日本の復活に
は即効薬は存在せずに、教育の改革しかないようです。
従い30年40年の時期が
必要ではないかと思っております。

小学5年制 現在の4年生から幼稚園の年長組まで1年
                 くりさげ て5年間。
中学3年制 現在の小学5年生から中学1年までの3年間
高校3年制 現在の中学2年より高校1年までの3年間 
                 ここまで 義務教育進学しない人は4年制・
                 義務教育となる。
職業教育1年間インターンを含め実務教育
        生活に必要な税制・相続・不動産・金融な
                 どもこの期間 に教育する。
        さらに創業を志す人のための専科1年 
;                 これで今の高 校3年と同じになります
大学予科3年制 現在の高校2年より大学1年までの3年間 
;                      奨学金支給開始
大学5年制  現在の大学2年より修士終了までの5年間 

 ポイントは最近の社会環境の変化で子供の成長が早くなっ
ており、小学では1年間入学を早めました、待機児童も減り
親の負担軽減にもなります。
中学は現在の中学1年と2年の間に区切りをつけることによ
り成長に応じた幼年期と少年期に分けた。高校は理系と文系
の総合的な教育は高校までとする。
大学予科は旧制のデカンショ時代を再来させ、根本的な自分
を見つめる作る時期としたい。
学士卒業はなくなるが専門的に充実した時期である。

                 2013-1-30
                 2014-1-19  加筆







   ; 奨学金改革


  日本の中間層は格差拡大で低迷してきており、中間層の再生産が危ぶまれています。その活性化のためにも、教育負担を減らして余裕をもたせることが喫緊の最重要課題です。単に誰でも大学に行ければ良しとするものではありません。せいぜい高等教育にふさわしい人材は人口の2−3割でしょう。そのギフト・能力をもらった人材の全てにそのための教育を施すのが教育の機会均等です。貧しい人でも他の能力をもつならそれを活かす制度をつくるべきでしょう。

 私学助成金を廃止してまた公務員のキャリア組の海外留学も廃止する。中国人の語学研修にまで奨学金を支給しているので、徹底的に自国民のための予算に整理して縮減する。その予算を下記のように使う。

1. 世界の大学ランキング100校に入学を許可されたものには生活費20万円、授業料の全額を返済なしの給付とする。100校のなかに各文明圏のトップ大学は含まれていないならその大学も含める。

2. 国公立大学入学者の成績優秀者の10%には同様の給付をおこなう。また10から30%の成績優秀者には生活費は返済義務があるが、授業料については無料給付する。3食付きの低額大学寮を整備をする。

 あくまで個人ベースを基本とするため、親の資産は関係なし、この若い世代に年に1000ま万の収入があるとは思えませんが、もしあるのなら、支給は辞退となります。
 大学教育ローンの返済もこれからの給与の伸びでは難しくなっています。教育の費用対効果の低い大学に行ってしまったローンなら破綻間違いなしです。

 私学に厳しいように見えますが本来私学の精神に立ち返っていただき、数も多過ぎなので、市場により淘汰されるのはやむおえませんね。

   2013-1-31
   2015-5-9 加筆



    追補 奨学金改革

      所帯年収と教育資金  

   
      
      所帯年収と生活水準  2016年1月 朝日新聞調査


  薬剤師の子供は薬剤師になれないという記事をかって読んだことがあります。薬剤師になるには6年かかりその教育費用を薬剤師の親では支払えないという記事だったような。今では歯科医も同様な状況かもしれません。

 友人のパートナーからの情報ではカリフォルニアのエリート大学、スタンフォード大学では、親の収入が年間12万5,000ドル(1,300〜1,400万円相当)の学生は授業料免除、6万ドル以下の家庭の子供は授業料だけなく、生活費(3食付の学生寮)も無料という、素晴らしいことを実行し始めました。東大並みの実力でないと入れないと思いますが、教育の機会均等を実現する良い制度ですね。

 日本ではいまだに学歴での就職門前差別が行われています。皆が大卒の資格をほしがるわけです。人生の門出で差別されてその後に一生それを背負わされるのではかないません。

 上にある統計で500万以下の所帯収入の家庭は55%に及びます。私大に子供をやって卒業させるまでに600−700万かかるのであれば無理な気がします。一向に経済が消費が上向かないのはこのせいではと考えてしまいます。能力があるのに入学をあきらめるのであれば、格差の固定化になり大きな問題です。
 日本でも私学助成を廃止して足りない分は他の予算から充当しても、国立大学の入学資格のある人には、スタンフォード大学の制度をマネて500−750万の層には授業料免除、500万以下の所帯年収の層には授業料免除と三食付の寮費支給をしたらどうでしょうか? 景気もジワリと改善してくるかも。

        2015-5-27

 
 












  ; 学生の奨学金問題


 東洋経済オンラインで山田順さんの記事が下記のようです。
 ”安倍政権は、「グローバル人材」をつくる教育を推進す
るという。しかし、現在の実態は、国民の税金をできのよく
ない中国人の若者に与え、向学心のある日本人の若者を
支援せず、あげくの果てに「本来なら潰れている大学」を
支えるために使っているのだ”是非ともこの記事を
お読みください。

 中国人の日本語学校生徒にまでに飛行機代と月学12万
5千円を支給しているといいます。
何たる税金の無駄使い。日本語学校の生徒といえばバイト
で稼ぐのが目的の人たちです。 年間300億円を使ってい
ます。直ちにお人よし予算は停止すべきです。
2020年度までに留学生を30万人に増やすよう計画して
いるとのことです。
実態を知るとおぞましいほどです。
 日本の奨学金を返せない問題も報じられています。
こちらへ使うべきですね。

東洋経済オンラインより
;http://toyokeizai.net/articles/-/16625

                        2013-8-2









  ; 高校生のアジア留学
 

 スズキがインドネシアに新しい自動車工場の新設を発表
しました。年20万台の生産から拡大していく計画です。
何か月か前に本田が埼玉に作った自動車工場が最後の日本
工場と言われています。
 最近の貿易収支も赤字続きで、海外の工場で作ったものを
輸入するアメリカ型の経済構造になったようです。
 もう日本では、今まで高卒を必要としていたレベルの就職
は無理ではないでしょうか? 
現地の工場をマネージメントできる人材を育てる必要があり
ます。留学は欧米の英語圏に偏っているようで、アジアに送
る必要があります。
そこで高校・大学の一貫教育の留学として、タイ、マレーシ
ア、バングラディシュ、インドネシア、ベトナム、ラオス、
カンボジア、インド、各国へ100-200人程度の日本人
留学生を送りましょう。
学費・生活費は全額支給です。この小生のHPで
留学生の奨学金問題を提起していますが、中国人の日本語
学留学生にまで学費・生活費をだしているのは無茶です。
その学費や滞在費用は試験でもしてレベルの高い人に限定す
べきです。速やかにこれを廃止して日本人のアジア留学に
税を使うべきです。

            2013-8-9

 









  ; 教育の目標と評価


 勉強すればできるから努力しなさい、というレベルの
追及は現在の日本ではすでに役立たないまでに追い込
まれています。勉強をしなくてもできるものをさらに
向上させなければ、これからこれを教育の目標にしてい
く他ないと思います。
午後の授業はそれを伸ばすための多彩なカリキュラム
を準備する必要があるでしょう。
教員も一芸を持った幅広い人材が必要です。他の目標
として強いリーダーシップと
志をもつ人材を学校教育のなかで育てることです。
評価は目標と関係しますが、5段階評価で1と2の評価
の人は3をつける、5以上のもののみを評価してのばす
べきでしょう。
1と2はかえってコンプレックスを生じ以後妨げになる
だけです。出来なくても問題なし、出来るものをもっと
のばすべし。
 
     ; 2013-1-14










 ; 小学校の教育目標   

 
 小学校に行くのが楽しくてしょうがなかった世代です。
勉強ではなくて遊びに行っていました。今ではイジメがはび
こっているなんて想像できません。クラスは60人のすし
詰め学級でしたが、そんなことは問題ではありませんで
した。先生は大変だったらしく、テストの採点を残って
手伝わされたことがありました。
算数は4則計算だけでいいものを、xゃyを使う方程式
を導入されました。早くから代数を習ってもその後の人生
でどってことはありません。
今の小学での英語教育も同じでしょう。 今日の小学生
は勉強に行っているのですね。
勉強・競争ストレスのはけ口としてイジメをしているので
しょうか? 
耳にする学校での陰惨なイジメは我々の世代では無か
ったように思います。
 これからの小学校での教育目標は生まれ持ったひとり
ひとりのギフトを先生が見つけ出すことです。本人はそれ
が嫌いなこともあります。
回りの環境がそれを伸ばすのを阻害することもあります。
先生はそのギフトを本人に自覚させ、やる気スイッチが
本人自身で押せるよう後押しするのが大事な仕事になり
ます。子供には子供の成長があり、例えギフトを見つけて
も大人が押し付けてもいけません。
 教師が自分の能力以上のものを他人に見つけ出したり
評価するのはむずかしい。
ゆえに一芸に秀でた教師を採用する必要があります。
現在の小学校教員のジェネラリストとしての小学校教員
養成や採用はこれからの
時代に合いません。変える必要があるでしょう。
これからは先生が一人で多くの教科を受け持つ必要は
ありません。
優秀なギフトを持った人は少数に決まっていますが、
普通の子でも得意で
楽しいことを伸ばしてやるのが、目標になります。ゆえに
小学校の位置は重要になります。
フィンランドでは修士クラスを教員に採用しているには
分りますね、結果も世界一です。
ギフトを持っている子供にはそれを伸ばすカリキュラム
が必要です。
皆が同じものを学ぶのが機会均等ではありません。
その子が持っているものにふさわし教育が公正な教育と
いえましょう。
それを見つけて教育するのは難しいゆえに優秀な小学校
教員が求められます。
教育は学校の独占物ではないのと、自分の子供の教育は
第1議的には親にあるといえますね。

             2013-12-4
  追補

 小学校の教員免許を変えなければいけません。採用試験
でピアノで歌うのを要求するのもなしです。それのできない
優秀な人材はたくさんいます。
理系・文系・運動・美術・音楽くらいのまとまりで授業を
分担してその人材を採用すればいいでしょう。
 生徒数人の学校も存在します、多くの先生はそこに赴任
できないので、衛星授業も必要です。
小人数学校の効率的な予算編成もこの際考える必要
あります。統合廃校もありです。
 教育やしつけの責任はまず親です、義務教育と言わない
で、通信制の小中教育も整備する必要がありますね。

            2013-12-5










  ; 教員について


ドラマで校長先生が盆栽に水をやるシーンが印象に残って
います。
日本のお役人のトップは日本的な特徴などでしょうか、
ご隠居爺さんで楽そうですね。
海の世界で身を置いたののですが、船のトップのことを何も
船長云うこと機関長と言っておりました。
 校長に権限を持たせてその学校の教員の採用、教育目標
の追及、またその責任をとること、明確の存在にしたい。
 教員は一芸に秀でた存在を採用したいこと、社会的な経験
を積んだ人を採用したいところから、採用は30歳より初任と
します。漁業に携わる学校に在籍しましたが、実務を知らな
いまま水産高校の教員になっていく制度では限界があります。

      2013-2-2

 










  社会人の再教育


学校教育のみに教育の重点が置かれていますが、これから
は企業が育てる力が劣ってきたのか、またそれに投資できる
余裕が無くなった事実を踏まえて、車の両輪の一つとしての
重要さで社会人の教育をやらねばなりません。

労働人口が増えないので、底辺の安い海外の労働力を国内
に入れることは、やらないほうがいいでしょう。
今の欧米の2.3世がそこに順応できなくて不満層を抱え込む
だけで後に文化的・経済的な大きなコストを支払わせられる
ハメになります。それなら今あるものの一層の戦力化をしなけ
ればなりません。
連続した長期休暇の制度を作ることもないままに、衰退の道
をたどってしまいました。30代で本人が一番必要としている
ものを半年とか1年とか、長期休暇の制度もないことであるし、
人生の半ばでリフレシュして学べる制度を創設したい。
小生の経験でも、海技試験を受ける民間の講習で、企業から
そこへ派遣された人々と一緒に勉強したことがあります。そこ
では皆の熱気と真剣な態度でした。今までの学校教育の場で
は経験したことはありません。言わばやる気スイッチが入った
状態で学ぶことから、そこでは短期で効率の良い成果の上る
教育になります。

 学校から連続したキャリアのみの単線的なももより、
実務を踏まえたキャリアを加えることで多層的なキャリアで
対処する必要があるでしょう。 
 例えば医師が不足だ不足だというのなら、看護師の10年
くらいのキャリアの持ち主であれば2−3年の再教育で専門
医師が養成できるとおもいますね。

    2013-2-4  2014-10-7改
 









  ; 人ベースを主体に


 家計に占める子供への教育費の負担は最大のものといえ
ます。
派遣にしか就職できないような大学を卒業させても、親の高
額な授業料を払った投資としては本人でもそうですが失敗で
す。アメリカでは個人ベースで奨学金を得たり、教育ローンを
借りたりして教育を受けます。近年は中流家庭では学費を親
が支払うようになってきた手直しの動きもありますが。

今年は成人式に120万人ほどの人数ということです。その
うち大学教育を受けるにふさわしい能力のある人数は
せいぜい20−30%でしょう。いつの世代でも変わらないと
思います。
この人材に最大の教育を与えてその能力を高めてもらう
しかないでしょう。そのため、教育その2で述べたように親の
資産に関係なく教育を受けてもらうようにしました。学校の
カリキュラムを無駄なものは無くし、スリムにして休み期間
を多くしてバイトで生活費を稼げるよう配慮しなければなり
ません。 親の負担が軽くなり、デフレ脱却に寄与しますね。
企業の採用に大卒を条件として門前払いをしないよう、規制
する必要もあります。残りの7割ほどの人材には徹底的な職
業教育が必要です。

            2013-2-5










    デカンショ時代の再現


 学制改革のところで大学予科3年(現在の高2から大学1年
までの3年間)を設けるよう提案しました。旧制高校の
デカンショ時代を再来させようとの意味です。
この時代に多種多様な本を読み人生の基礎的な人格を形成
します。従い昔の9帝大の付属高校に新しくは新制の大学
予科3年に付属校を設け、大学入試を免除します。これは9
帝大の学年定員の3割程度に限定します。
ついでに大学入試ですが付属校からは無試験で、入試で5割
の入学、アドミ推薦入学を2割の割合にします。卒業について
も明治以来少数のエリートを大事に育ててきた伝統から、
いったん入れば楽に卒業できた制度が続いてきました。
友人のカミさんはアメリカで州立大学の教授をしていますが、
聞いたところでは卒業は入学の1割程度だそうです。
日本の大学でも3人に1人の卒業程度の厳しさを求めます。
奨学金も大学予科生の成績優秀者の3割程度には支給する。
付属高の学生にはその間は受験を離れて自由に人格形成を
してもらい、大学に入学したら3人に1人の選抜を受けて
卒業することになります。

                         2013-2-6

  追補

 コロンビア大学では2年間ぐらいの間にすべての哲学論
と宗教論を学ばせるそうです。


 






  ; 大学への資源集中


 アメリカの東部の大学へ留学している人のブログを読み
ました。
子供がおれば、やはりアメリカへやるべきと思いました。
日本のように黒板を書き写す授業ではなく、自分の考えで
討論しながら授業は進んでいくようです。(小生では卒業で
きない感じがしますが。)
学生の先輩ボランテイアがレポートの書き方や授業のポイ
ントなどをコーチしてくれるシステムもあるようです。
 日本の教育では大学受験に最大のエネルギーを使うシス
テムで無事合格しても、大学ではリハビリ期間になってしま
います。皆で手をつないで徒競走で一緒にゴールを踏む、
なんて虚構を教える小学校があるそうですが、競争のない
社会は存在しません。余り人生で役に立たない受験勉強に
エネルギーを使うのはもったいないです。ついでに高校入試
も無くしたほうがいいでしょう。高2まで義務教育にすればな
くなるでしょう。高校程度の勉強は自分でできます。
現在の大学定員の3倍までの入学を認め、卒業は定員以上
は認めない。
大学卒業検定を設けこれに合格すれば、奨学金の返却免除
などで促進させる。
大學期間で能力を磨く最大の力を発揮させるシステムに
変更しましょう。
どうせ競争するならこの時にしましょう。

                 2013-8-16










  学区制 ・高校入試


 愛知県の私ら団塊世代のころの高校の学区制は尾張と
三河の大学区制でした。
他もそうなんだろうと考えていましたが、大学で北海道の友
人に聞いたところ、札幌では小学から高校までは一緒の
小学区制でした。友達の輪が続いているわけで、うらやまし
く感じました。人生ではブチ切れの関係より、幼稚園以来の
関係のほうがなんと豊かでありましょか。 高校の大学区制
は入試の効率にみをを求めた制度でしょう。長い人生では
小学区制に分があると思います。
 全国で10の道州制で教育を分割して、おのおの個性を
競い合う制度にしたい。
特殊な分野でその州にないものは例外としますが、ほとんど
はこのサイズなら存在できると思います。

                    2013-2-8
 









  教育の機会均等


 国会中継を見ていて、教育の機会均等のことが、報じら
れていました。
その議論のなかで、教育の機会均等とは家が貧しくても子
供に大学進学の機会を奪うなということのようです。果たし
てそうでしょうか?
本当の意味の機会均等とは高等教育機関でそれにふさわ
しい能力を持った人の機会を奪うなということです。
貧乏人のバカは大学に行くなと政治家が発言したら、たち
どころに政治生命を失うことでしょう。意欲も無く高等教育
の適性のない子供が貧乏で学資が払えないという理由で
機会均等を主張するのは間違いです。
 塾に行ってその勉強で例え東大に入ったとしても、その
人材はあまり役に立たない時代を迎えてしまいました。
残念ながらやればできると後押ししても、それはエライこと
ですが、それすら活用できない局面です。
高等教育を受ける能力は人間の能力のなかの一部で
それを持つのはせいぜい2-3割の人だと思います。
 くやしくも小生はその中には入れない人材です。
天の配材でふさわしい人には、もちろん無料で教育を受
け、最大限の効果を期待する教育制度がこれから必要と
されます。
 他の能力を持った人は難しいけど、それを生かす制度も
併存して作っていくべきです。

        2013-4-11










 ; 管理者の教養教育


 昨日の18時台のNHKで管理者教育のために教養教育を
させている番組が報道されていました。
カントのやたら難しそうな定理とやらを映しておりました。
率直に言って、教育料が600万とか高額で、しかも大企業
の管理者になる前の段階では年齢的にも遅すぎるし付け
焼刃では効果がないのではという感想です。
 このブログでも述べたことがありますが、青年のみずみず
しい時期に自主的に身に着けたものでないと役立たないでし
ょう。教育を見直す必要があります。
公立予備校と言っていい教育体制がスタートした世代です。
確かに年金をもらえる年になって、我々の世代はそれなりに
役立ったとは認めます。小生のようなナマケモノには受験勉
強はついていけませんでしたが。
今の世代がそのままの教育では、これから役に立たないこと
ははっきりしています。
 国際競争が厳しくなり日本と西欧の競争ではなくなり、
韓国や中国と取り合いになった状況で直面した問題のよう
です。
西欧の管理者は人文的な古典的教養を基礎にして大学教育
を受けております。その人たちと人間としての奥深いところ
での付き合いと幅広い発想が仕事上で必要とされるように
なったということす。
 人に向き不向きがあるので誰にでも強制する必要はあり
ません。かってのデカンショ時代を人為的に再現させまし
ょう。
全国の国立大学の定員の1/3程度の付属高校を設置または
統合して、その卒業生には無試験で入学を認める。
公立大学の授業料も値上がりしすぎたので、月1万程度に
値下げしましょう。
 現在議論している小学4年からの英語教育など不必要。
その時間は本をよませて日本語教育を増やしましょう。
○xと記号解答の教育を受けて、その後も自分で磨かない
で育つと、小生のような意味不明な文章力しかない人材に
なります、、、、
           2013-5-30










       哲学と国際競争力  
 

 ;世界のエリートはなぜ3歳から哲学を学ぶか”というかなりセンセーショーナルな表題の記事を読みました。それを書かれた福原正大さんは、フランスのビジネススクールを卒業して大きな外資系資産運用会社の最年少役員・35歳を経験されたかたです。彼は留学するまでは日本の大学を卒業して日本の都市銀行に勤める,いわば既成の日本的なエリートサラリーマンでした。 仏のビジネススクールで、彼は回りの高いレベルについていけずに落ちこぼれでした。それで彼は哲学的思考を学ぶことで、彼らの議論についていくことができて、力を発揮できるようになった。

 世界のエリートは哲学的思考を身に着けています。それは教育のせいで、自分の頭で考えて判断する人間、それを論理的に伝える教育がされています。
 日本の大手の企業もこれに気が付き、遅まきながら管理者の教養教育に力をいれるところがあります。人文教養で接して付き合わないかぎり外国のエリートとはやっていけないということです。ビジネスの成果もでないということでしょう。
 日本の戦後教育の抜本的な改革がもとめられますね。今のままでは、正答がひとつしかない記憶中心の受験詰め込み教育をしていては負けてしまいます。

    http://toyokeizai.net/articles/-/66750?mm=2015-04-23
             東洋経済 オンラインによる

           2015-5-30

 










 ; 幼児教育と音痴


 人生で楽器を始めてやっと自分が音痴だと知りました。
学校教育レベルでは音楽の成績は悪いほうではありませ
んでした。
20歳半ばを過ぎてリコーダーリュートを始めました。
リコーダーは決まった穴を押さえて吹けば音がしますが、
音色の違いを求めた時とか微妙な音程の上げ下げを
するには、押さえる穴を変えたり押さえた穴を少し開けたり、
楽器により調整が必要です。
手持ちのリュートのルネッサンスタイプでは10コースで
19本の弦があります。それぞれに調弦が必要でした。
自分のような音痴という音程がとれない症状ですとそれ
らを続けるのには無理がありました。楽器をやってわか
ったことです。
今では歌っても音程がとれていなかったと分りましたが。
ガクン。
 テレビの番組で幼児教育(1歳―5歳)で絶対音感のトレ
ーニングをすると身につけることができると知りました。
自然に身に付くことが一番です。
絶対音感があるとドとかレとか聞こえてしまって、生活に
支障がでるケースもあるようです。無い人には想像できま
せんが。幼少のころは自分で判断できない年頃ですので、
親がトレーニングをするのを決めなければなりません。
小生の場合は役に立っただろうと、今思います。
プロになるギフトをもらったわけではありませんが、
人生で楽しめたと思います。
絶対音感が無くても、その楽器の音楽が嫌いにはなりま
せんでした。今でも十分に楽しんでおります。子供がいな
かったですが、いればそのレッスンを受けさせてやりたい
と個人的には思います。

                    
               リュ−ト                リコーダー
 
                2013-9-19


     

 







 ; 高校の歴史教科書


          

 本屋さんで;東大のデイープな日本史という本を見つ
けました。
もちろん東大を目指しているのではありません(笑)。他大学
の入試問題はどうなったんでしょうね。老人になった小生が
何10年前かに受けた3流大学の問題とは明らかに違ってい
ました。これだと暗記ではない相当な認識を要求されます。
 この年になるまで歴史好きで来ました。しかし高校の時
の世界史の教科書はひどかったです。世界史なので量的な
ものが多くなるためもあるのでしょう。
受験のための歴史語彙が羅列してあるばかりで、すっかり
歴史が嫌いになりました。 
成人してヒッテイの”アラブの歴史”を読み、
こんな教科書なら若い時にもっと歴史が好きになったでしょ
う。友人に薦めたらすっかりアラブ通になりました。
世界史は今の高校では受験に必須の科目の位置にあるよう
です。
高校の歴史をもう少し細分化して、日本史・ローマ史・
アラブ史・西欧近代史・中国史などひとくくりで学べる意義
のある単元に区切る必要があると思います。
高校程度の知識では抜けた分は自分で十分補えます。
たとえばローマ史だけ丁寧に学べば人生に役立ちますね。

                      2013-7-28
  

           慶応大学入試
                   







   ; 高校の音楽と人生の楽しみ
 
 高校の世界史で歴史好きが嫌いになった話を先ほど書き
ました。
今度は音楽の授業で人生の楽しみを見つけたお話です。
高校2年生の時に音楽史をメインに教材が作られていました。
(ああ なんと50年前かと...)最初はグレゴリオ聖歌で
始まります。何とか修道院の聖歌隊のレコードでした。
お経のようで,今までに聞いたことのない響きで感動でした。
それからランドフスカヤのチェンバロです、なんて繊細で
微妙な音楽なんでしょう。心と耳に衝撃を受けそれ以来老人
になるまで、オーケストラは好きになれませんでしたが、
古楽とバッハの音楽を楽しんで過ごせました。
出来の悪い生徒でしたので、他の科目では何も得ることは
なかったです。
もっと後になるまで、自分が音痴であるとは気が付きませ
んでしたが、ヘタの横好きは続きました。普通こういうこと
をかく人は何事をなした人の若い時のエピソードでしょう。
スミマセン。ただ無駄に過ごした老人の話です。昨年に
レオンハルトの亡くなる前の最後の日本公演を聞くことが
できました。アンコールなんか一切しない演奏会でしたが、
淡々と端正なチェンバロ曲を聴くことができました。
人の持つ感性は様々で、
眠たい音楽を授業で聞かされ退屈した生徒も多かったでし
ょうね。我が人生としてはありがたかった授業でした。
 ライプチヒで開かれているバッハ音楽祭には死ぬまでに
いけるのでしょうか......。

グレゴリオ聖歌   ベネデイクトス 
シロスモンセラート合唱団   4.25分
;http://www.youtube.com/watch?v=_MbDqc3x97k&list
=PL7459B90AE9B9F837&index=11
 
     2013-8-5



      高校のクラブと美術




 








  マネル

 日本の家電業界はどこも良くないですね。パナソニックは
最近持ち直して来たようですが、かってオーデイオの世界
が流行した頃です。そこは独創的な技術を出すことはあり
ませんでしたが、二番手商法というのですか、遅れて追い
つき販売の神様の会社ゆえに売れていました。 
日本だけの競争で無くなりグローバルになったがゆえに
日本の家電業界が横並びで似たような製品を並べ熾烈な
国内競争をして損耗する商法で破綻したのでしょう。
 テレビの番組で似たような企画のものが、どのチャンネル
でも放映され、ひな壇ものが氾濫していますね。番組のオリ
ジナル企画の権利を認めて、似たものは排除する制度を
設けて、企画とプロデュースを競う放送界にしたいです。 
というのはこれから汎用品の生産では
日本は立ち行かず、規模は小さくても独自のものしか勝負
できないからです。
教育の現場から独自の発想・見解・意見を重視して、
それはマネでしょう
と自分の意見を言わせるものにしたい。文化的な問題ゆえ
に時間がかかります。
 マネルということは職人の世界でも芸術の世界でもそれら
の発展のための大事な要素であることは間違いありません。
何かを変えるには少し行き過ぎるぐらいでないと変えられ
ないし、日本ではここしばらく重要です。
意識してマネだろうという風潮が必要ですね。 

              2013-9-16
 









 ; 平均点の教育


 学力テストの結果公表をテーマとする、知事や市長が
参加するラジオ番組を聞く機会がありました。
成績の上位学校やそれとも下位学校を発表して学力の
向上に役立てたい議論を番組でしていました。
 今の日本で平均点が向上してなんの成果があるの
でしょう? つい先立って日本の大人の成績が
世界一だったと報道がありました。でも現状はアベノ
ミクスとはいえ、成長戦略も描けない状況です。
 教育の目標に平均点の向上を挙げるのはやめま
しょう。汎用品を作って競う時代は終わりましたが、
それなら役立つかもしれません。
中国や韓国で受験競争を盛大にやってもらいましょう。
両国ともノーベル賞受賞者は、今後もそれなら少ない
でしょうから歓迎です。
 今後の日本では、成績上位者がたとへ1万人がいて
も切り開けません、一人の特異な才能を持った人に
上位のステージを切り開いてもらう人材が必要です。
勉強してできるようなものは役たちません。しなくて
できるようなものを一層伸ばしたものしか役立たない
でしょう。
誰もが逆上がりができなくてもいいのです。体操の
白井選手のような人が望まれますね。
ジョブスやビル・ゲイツを見つけましょう。
天才は育てるのは難しいので、それをツブサナイの
が大事です。日本ではイジメで引きこもりになって
しまうかもしれません。
学校や社会で、生まれ持ったギフトのある人の才能を
伸ばしてもらう教育や社会が必要です。それらの人の
おかげで、小生のような多数の普通人がが通普に
暮らせます
新しく切り開いてくれた分野でも庶民が必要とされる
部分なしではやっていけません。
教育の成果がでるのには、時間がかかります。
方針転換しましょうよ。
            
                       2013-11-2
  追補

 先程にテレビで全力教室を見ました。脳科学者の
茂木さんが東大生に偏差値入試について講義する
番組です。昨日ブログに書いた時には、TEDという
番組に出ていたすい臓がんの検査法を見つけ出した
15歳の高校生の話を連れ合いから聞いていて、
それを頭に置いてブログに書きました。
 下記よりジャックアンドレイカさんのTEDをご覧
ください。
 http://www.ted.com/talks/lang/ja/jack_
andraka_a_promising_test_for_pancreatic_cancer_
from_a_teenager.html
                    
    ;2013-11-3
 










  皇帝フリードリッヒ2世の教育

 

                              
 
塩野七海さんの最近の著作を暮れから新年にかけて読んだところです。
そこで理数は得意でないのでよく分らないのですが、
フィボナッチの定理(予測)が先だって証明されたことは知っていました。
フィボナッチはその定理で現代では有名ですが、
ヨーロッパに初めてアラビア数字を紹介した人です。
フリードリッヒは交易商人であった彼を年金を与えて研究に専念させました。
他にも皇帝は初めて獣医学・防疫学を研究したブルーノを後援する。
翻訳工房を作ってそこでギリシャ語やヘブライ語を中世の学術公用語である
ラテン語に訳しました。
彼は宗教や民族の別なく交友して霊魂の不滅とは・神学の目的とはとイスラム
学者に質問していました。こだわりのない当時としては異例の為政者です。
 皇帝はまた欧州で初めての世俗人のための国立ナポリ大学を創設した。
キリスト教のフィルターを廃してすべてのリベラルアーツ・一般教養を教える
大学でした。どう生かすかは学ぶ側の自由でありました。希望すれば彼の
官僚にも就職できます。
フリードリッヒ2世の中央集権化をめざす官僚の養成に結果的に役立つことに
なります。続けて中世としては異例の奨学金制度と低利子での貸し付け制度
で学生の支援をしました。
学生が集まって借家料が上がるのを防ぐために上限を決める細かい配慮
までします。大学の自治を認め学生の処分は教授が決めました。
おまけに勧誘パンフレットまで作って宣伝した。欧州での最初の例ばか
りです。ルネッサンスの200年前の13世紀に偉大な君主がいたものです。

 フリードリッヒ2世の生涯
                     2014-1-5


 







   ; 皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育  

 
 権力基盤の小さかった皇帝フリードリッヒ2世は中央集権的な法治国家
めざしました。当時は実力で築いた封建諸侯の時代で、彼が目指しているもの
とは反する現実です。
政権の高官には封建領主や聖職者を使いました。彼らの権力基盤を自ら否定
し壊す地位に使ったのです。
 そして区別することのなかった皇帝の嫡子や庶子の教育と同じに、
有力封建諸侯の10-11歳くらいからの子供たちを一緒に寄宿舎で教育した。
その教育の内容は偏見のないリベラルアーツなものでした。
 この皇帝の宮廷独特のユダヤ人・ギリシャ人・サラセン人などのあらゆる種類
の人が集まる異文化を体験して子供たちは育ちます。
成人になると皇帝と行動を伴に統治を実地に学んでいきます、その生徒たちは
長じて親と代替わりして地位につき皇帝の政策を支える人々になったのです。
 彼が創設した国立ナポリ大学の卒業生も同じく政府を支える人材の供給源と
なります。

 日本の維新の時も、武士により変革をなしえて、明治の世になり版籍奉還なり
秩禄処分で武士の身分はなくなりました。
 他でも変革が起きるときは既得権層からの協力が得られないと改革は難しい
ものになりますね。
 日本の今の官僚キャリア組の幹部候補生教育は少数の受験秀才を採用して、
バカ殿教育でエリート意識だけ持たせるシステムです。
採用時の成績・ハンモックナンバーが定年まで大きな影響で昇進していくシス
テムです。それゆえ維新の志が消えてしまえば、破滅へのエリートになり
ました。
 志は時代が作る要素でもあるので、それを持てといっても難しいものが
あります。それで幅広く採用して競わせて少数の幹部を選考していくシステムを
作ることがこれからのリーダーにとって必要でしょう。

     
   フリードリッヒ2世の生涯

                2014-1-9

 
 








 
 ; 芸大の教育  
 

音楽好きの友人で、安くていい音楽を聞くのを探すことが得意な人が
紹介してくれました。芸大の卒業試験のためのコンサート(無料)です。
好きな古楽部門の生徒もいて、さすがプロになる人だと老生のようなレベ
ルの人には思われます。
区別をつけるだけのものを持ち合わせませんが、その成果に感動して、
芸大にはもっと予算をつけて伸ばすべきだとその時に思いました。
ソプラノ歌手・森麻季さんのファンのですが、彼女のカッチーニのアベ
マリアは大好きで何度も聞きたくなります。彼女は芸大の声楽科卒業、
大学院独唱専攻も卒業して、イタリアのヴェルデイ国立音楽院とミュウ
ヘン国立音楽大学院を終了しています。
彼女の履歴を見ますと芸大以降はオーバー教育でないかと思います。
確かにソリストになるには有名なコンクールの受賞が条件のようですけ
れども。
 欠けらも知らない門外漢の老生が言っていることですが、芸大の入試
選考とその教育に問題があるのかと思ってしまいます。
 相変わらず小難しい入試問題を合格した人が前提で、その中での才
能のある人を芸大では教育しているのでしょうか?
音楽家というよりは学校音楽教員の養成に力が入っているのだからで
しょうか。
欧米では年に関係なく才能のみで音楽院には入学できるシステムです。
芸大の効用は国立大学ゆえに、国費留学は容易なようです。亡くなった
友人の息子さんが、やはり芸大からテノールで同じように留学しています。
サラリーマン家庭ではとてもそれを出せる費用ではないですね。
 芸大のみで完結する音楽教育と大学に関係なく才能のある若い人に
留学のチャンスを
与えるシステムが必要です。また楽器も高騰しているので、貸与すること
も大事です。


  カッチーニ   アヴェマリア   3.3分  大好きです
  http://www.youtube.com/watch?v=CN1A5GFBcAo&index=7&list=PLIgIxX0SLBu6SdL8IfsNVflGQ5yij4uVz


        2014-1-25


 






 ; AO入試とSTAP細胞


 昨日の報道で東大が推薦入試を導入することを決めました。3100名の中の
わずか100名です。500名位に上げられないかと思います。
 今日はすごいニュースがありました。またノーベル賞と思わせます。STAP
細胞です。iPSでもよくわからないのですが、それよりも作成簡単で、科学の
常識を覆すものだそうです。

ネイチャー誌で信じられないと掲載をことわられた位に革新的です。
ドヤ顔にも見間違いそうな写真ですが若々しくてステキな小保方春子さんです。
 彼女は早稲田の理工学部のAO入試合格の一期生です。やはりその成果が
でましたね。
東大ですら変えなければならなくなったのでしょうね、時代が要求しています。
 私等の世代では東大は夢のまた夢で所属した高校の同級生から一人も入って
いません。レベルが低かったということでもありますが。
 我世代の代表は、真偽は定かではないですが現在都知事選にでている候補と
元首相の弟君が東大でトップを競っていたと聞いたことがあります。彼らを今
まで見てきてやはり我々世代はダメだよなあと納得するばかりです。
世代の質と教育の質の問題でしょう。
 友人の息子さんや何と我が家に夏休みに遊びに来ていた子供までが東大に
入りました。
 易しくなったんだなあとも思います。小さい子供のころから見ているので、
大丈夫かの不安もあります。入学してから成長しているとは思いますけれど。
 教育の成果が出るのは何10年とかかります。そのころにはこの世にいませ
んが、変えていかねばなりません。
 今日は自然と笑みがこぼれすがすがしい朝を迎えました。

         2014-1-30

  小保方さんと特定秘密保護法


 










  ; 天才つぶしと小保方さん  


いまにも小保方さんの論文を取り下げるような状況になっています。
小生は怒り心頭に達しています。
こんなことをしていては日本の将来はありません。
秀才に頼るガラパジャパンは絶滅です。秀才指導の汎用品生産では
世界の市場では戦えません。じり貧日本を迎える運命になります。
 例えが失礼ですが、死刑囚に最後まで母親が愛して見捨てなければ、
執行前に悟り更生するチャンスがあるかもしれません。天国へ行けるのです。
 小保方さんに対してはそんな応援団が支えなければなりません。
今となっては、彼女は脇が甘かったようですが、天才は天才ゆえ万能ではありません。
政府は再現実験を奨励する予算を組んで後押しすべきです。
今でも2-3人のひとが再現実験に成功すれば、
一気に流れが変わりまたマスコミは賞賛しだすのでしょうか。
マスコミの上げて下げてグリコの2度おいしい本質を皆が理解すべきでしょう。
 やっかみと嫉妬の日本を抜け出すのです。
天才にしかこの日本を変えて向上させていけません。
ウカウカしていると、成長戦略が見えてこないアベノミクスがつまずき
財政破たんは目の前にあるかもしれません。

      2014-3-15


     追補
  
 昨日に副センター長笹井芳樹さんが自殺しました。最悪の結果です。下世話な
報道までありました。マスコミが殺したといえましょう。気が引けたたのか天才で
あったのに惜しい人を亡くしたような報道をしています。小保方さんが心配です。
個人あての遺書は公文書ではありません。当人が受け取っていないのに公表され
ています。人生最後のプライバシーの侵害でしょう。
 小保方さんは再現実験にますます請をだしてください。できなくてもあとで何かを
切り開いた人と記憶されるでしょう。頑張ってと言ってはイケナイ状況に追い込まれ
ています。
 落ち着いてゆっくりと取り組んでください。

     2014-8-7

小保方さん本人による再現実験はできなかったと報道されました。科学のことは
誰でもあとからできる普遍性が必要です。本人でもできないことをなぜ公に発表し
たのかは疑問が残ります。遅かれ早かれ露出することですから。文系の理論のよ
うに彼とは考えが違うのだと言い逃れのできないのが科学ですから。

    2015-1-12


     映画 イミテーションゲーム 











 ; 社会・時代が作る教育  
  ヴェネツイア元首ダンドロの場合
                       
      

 維新の志士は日露戦争までは人材が続き、西欧諸国の植民地にならずに、
日本は幸運でした。志士が死んでいき、秀才官僚に指導者が移行しました。
その運営が失敗して、この前の大戦で明治以来の蓄積を掃き出しご破算に
なりました。
 戦後は飢えの心配から始まり、腹に入ればよいという時代から今のグルメ
を話題にする社会になることができましたが。 軍事秀才官僚はなくなりました
けれど、民事の官僚制は変革されずに温存され、戦後ずっと維持されてきま
した。それでも1985年ごろまでは戦後復興の締め付けがあり、緊張があったの
でそこまでは結果を出すことがてきました。
維新と戦後復興は、日本の近代の時代と社会がなした教育的な影響でしょう。

 1000年に渡って存続し繁栄を極めて地中海の女王と言われて、わずか20
万人の人口と島の狭い国土しかないヴェネツイアではどうでしよう。
 エンリコ・ダンドロはヴェネツイアの元首に1192年に選出されたときは70歳
くらいであったと言われています。それまで名門の御曹司であったけれど
楽々と過ごしていたのではありません。20代と30代は海外の通商に送りだ
される。商品をのせた持ち船の航海術を学び、かつ異教徒との交易を学ぶ。
いざ海戦となれば船を運用する戦闘術も学ばねばならない。
また通商を行うからには現地の事情・宗教・風俗習慣・文化・言語を学ぶ。
40歳くらいで陸に上がりだし、あらゆる分野の外交に駆り出されることになる。
13世紀のヴェネツイアから外交が始まったと言われるくらいです。
ヴェネツイアは領事を派遣して外交・情報収集に従事させる。
ダンドロはアレキサンドリア・コンスタンチノープルの領事を歴任する。
そして元首に選ばれるころにはありとあらゆること経験する。
 ダンドロは元首になり第4次十字軍に参戦を決める。それをザーラ・コルフ・
モドーネ・最大のコンスタンチノープル陥落に利用して、
ヴェネツイアのための海上高速航路完成させて、その後のヴェネツイア発展に
導いた。元首は常に戦闘の間は甲冑をつけて聖マルコ旗のかたわらで旗艦の
先頭に立ち続けた。

(塩野さんのヴェネツア・海の都の物語をお読みください。)

これがベネツイア1000年の維持につくした指導者の社会・時代がなした教育
です。志は道徳教育を押し付けたところで育成できるものではありません。
時代・社会の後押しが必要です。

 日本はどうでしょう、少数の秀才を採用して、30歳には税務署長をさせるよ
うなバカ殿教育で育成していくキャリア教育をしています。いつまでたっても立
て直せないわけです。
 今回の民主党の議員候補者を見ていると、若いだけの人、社会人の経験
の乏しい人、女性だけの人、議員の地位が最終目標の人、風だけ頼りで自身
で切り開けない人などさまざまでしたが、やはり空振りに終わりまた。逆に悪化
させたか。

 日本でも時代・社会が要求するときは人材はでます。でも志が無く長期のビ
ジョンや新規のものが描けなくて、少し貯まったところで、ご破算にする人材
ではたまりません。
1000年に1度の地震もありました。災害で復興する遺伝子を受け継いでいる
庶民なので、為政者の暗愚なままでもそこそこできてしまいます。
戦略を立てられる・グランドデザインを描けるリーダーの育成システムを持ち
たいものです。


  ヴィヴァルデイ ニシドミネ RV608 演奏 ホグウッド指揮  21分
   ヴェネツイアの映像をヴェネツイアの生んだ作曲家による曲で
   https://www.youtube.com/watch?v=o5NcY85Kdgg&index=27&list=RD2Amko575QCE


    2014-2-14

 








  錦織さんとスポーツ教育


 とうとう優勝はできませんでしたが錦織さんは全米テニスで第2位となりました。おめでとうございます。ひさびさの明るい話題で関係ないのに笑みがこぼれますね。

 甲子園や延々と族いた軟式野球も終わりました。日本のスポーツは学校体育や教育の制度の中で育って繁栄してきました。ゆえに個人ではなく組織のためとその論理が優先しがちです。高校野球ではルールが変えられないで将来をつぶした投手が数えきれないほどいるのでしょう。錦織さんも学校のテニスの選手でしたら日の目をみなかったかもしれません。親も大変でしたと思いますが、テニス界も個人を育てる環境があってよかったです。

 クラブはスポーツには大事な役目を持ちますが、そろそろスポーツの中心はクラブだと、予算も集約して育てていく環境にしたらどうでしょうか?学校運動部は卒業です。部活指導でお忙しの先生ももっと本来の教育に戻っていただきたい。

   2014-9-9








   中村さんノーベル賞受賞

   日本人2名とアメリカ人1名が青色LED研究でノーベル賞受賞です。災害続きの話題から我々庶民は明るい楽しい雰囲気に浸っています。
 この場になっても中村さんについては庶民でも、彼に合ったこともないのに、人柄がどうのとコメントする人もいます。あの人柄だからこそ、誰もあきらめて取り組まない研究でノーベル賞の成果をだしたといえます。ちまちまとしたミニ改良を競っては韓国や中国には勝てません。 中村さんをアメリカ人にしてしまったことを考えるべきでしょう。受験秀才では切り開けません。天才こそ日本の庶民を食わせることができるのだと,改めて思い直しましょう。庶民ができることは天才をツブサナイことのみです。外国の天才を日本人に呼び込むシステム・環境こそ大事です。そのように取り組みましょう。
 
 この状況を借りて再度くどく述べます。小保方さんはつぶされてしまいましたが、まだ結果がでたわけではありません。数十年して一気に見直されるかもしれません。その時はマスコミはころりと豹変して持ち上げるでしょう。 政府の仕事は彼女が日本人をやめたり、悪いことを続いて選ばないように保護することですね。 

       2014-10-10

 






   リクルートと教育   


  天才の誕生を待たなければ・つぶさなければ、我が国難を切り開けないお話はここで述べてきました。今日の東洋経済の松崎由美子さんの記事で・シリコンバレーも驚く!リクルートの異端児・の記事がありました。

 http://toyokeizai.net/articles/-/52944?mm=2014-11-14

 リクルートにはスペインで所有していたヨットを地中海チャータークルーズで事業にならないかと模索しているときに、そこの旅行誌に広告を掲載したことがありました。チャーター企画は、一家族に乗ってもらっただけで経費倒れですぐにやめましたが。
 その広告代金支払いで会社を見てみたいと行ったことがあります。リクルートの事務所の雰囲気は普通に会社とは違い、大学のサークルで営業を競い合っている場のようにに見うけられました。当時は勢いがあったので伸びている会社はこんなものかと感じつつ、その場には自分を置きたくないなと帰ってきました。世の中は紙の媒体からウェブに変化してきましたので、リクルートの影はうすくなったように思えました。 リクルートは10月に上場を果たしました。今回の記事を読むと復活したのが理解できます。
 そこにサービスに携わる一人の自分たちが実現したいこと・WILL・が重要でそこに破壊的なイノベーションがある。 生まれながらの特別な才能や精神をもっている人・企業こそが企業家になると考えられがちであるが、WILLとオープンイノベーションがキーワードだ。
 その結果をまちましょう。

  2014-11-22








   ドイツの教育事情

  
                


ドイツでは小学5年生で進路がきまる。大学に進学する子供が行くギムナジウム、職人になる子供の行く基幹学校、そしてその中間の子供の行く実業学校という制度である。5年生・10歳でこの3本に分かれる。

 ドイツではマイスターという親方が尊敬される世の中であったが、今では親方ではなく、コンピューター制御の機械を扱える人間になりたがる。けれどドイツ語のうまくない外国人労働者の子供はつまるところ基幹学校に行くことになります。ギムナジウムに行けなかった子供が劣等感を心に焼き付けることになる。それは格差の固定化をすることに続がります。

 ドイツの学校では部活動を行いません、プライベートのことには一切かかわることはない、学校では人間性を育むといった二義的な機能は重視されないので、教師と生徒の関係もあまり発展しません。ギムナジウムを除けば日本よりももっと学校は崩壊している。この学制はマイスターが尊敬されていた時代には機能した制度であったが、社会の基盤が変わった今でも昔のまま存続しています。この制度を見直す動きもあったが、エリートたちの反対運動でつぶされた。彼らは市民にアピールする経済力も実行力もあるからである。

 大学受験はドイツにはない。卒業時の試験・アビトウーアが入学資格試験を兼ねている。それには筆記試験とプレゼンテーションや質疑応答もあり、丸暗記では対応できません。それゆえギムナジウムでは考えや主張を文章に4時間近くもかかる論文をまとめる訓練を重ねる。従い大学へのハードルはかなり高い。翌年もう1度チャレンジできるがこれに落ちると大学にはいけなくなる。国立大学がほとんどであるので、授業料最近まで無料であった。ドイツでは、修士コースの入試や奨学金貸与の試験では、受験性を8人ぐらいのグループにして、テーマを与え、討論させることが多い。ユニークな意見を述べたり、理路整然と意見を戦わせる生徒は高い評価を受けます。

   2015-1-12

 







     ちゃんぽん食べたかっ
  
           さだまさしの青春時代

   
    


  「ちゃんぽん食べたか」 が最終回を向えました。 さだまさし原作の青春自伝的ドラマです。
 彼は爺爺より少し若い世代ですが、昭和30年後半から40年代の雰囲気が思いだされて懐かしい思いで見ました。 あんなショートカットの女学生・森川葵・いたよなあ。

 さだまさしは小さいころから母親のすすめでヴァイオリニストになるべく頑張っていました。そのため、中学のときに、長崎から上京して、下宿暮らしでレッスンを受けてます。 結局、芸大受験はあきらめることになりました。 大学には入るけれども、自分は何をしたいのか迷い、授業には余り行かなくて、アルバイトにうつつを抜かす生活をおくります。そのなか病気になってしまい、長崎に帰ることになります。その長崎で友人と2人で曲作りに夢中になり、曲を公演することになりました。 さだまさしの将来を暗示したところで、このドラマが終った。
  
 さだまさしが長崎に帰って、これまでの大学でのろくでもない生活を両親に話す場面があります。包み隠さず話す彼もエライのですが、それを非難することもなく、両親は受け止めて、役に立たない経験はないとそれを認めます。 (長崎弁はやさしくていい言葉ですね)   まあ、こんな両親がいてくれたならと、うらやましい限りでした。 

 爺爺は今まで、何か自分が決断してやろうとしたこと・大した結果になりませんでしたが、そのほとんどを、親には反対されていたように思っています。もう死にそうな齢になっても思っていることから、本人にとっては重きことでした。せめて親は ことばだけでも後押ししてほしかったと思います。 でも、今の自分は、自分で決めたきたことの結果だから、悔いはありません。親にも感謝しています。

 さだまさしのNHKのこの前作・カステラ・もおもしろかったです。少年時代のさだまさしのドラマです。特攻隊あがりの父親がとてもユーモラスで地元やくざ親分からも一目置かれる。 もうごらんになったと思います。

     2015-8-24



      追補

       さだまさしさんの戦友
           
”戦友”という言葉を、この国は二度と作ってはいけない。だが、かつてあった”せめて自分が盾になろう”と思い込み、または思い込もうとして戦った青春の”こころ”を踏みにじることは許せない。僕が恋の歌を歌いながら、若い娘さんにチヤホヤされながら過ごしたそんな年頃を、彼らは命を賭けて戦って生きたのだ。

それが”マインドコントロールであった”と冷静に笑える人は、人の”こころ”の痛みなど理解できまい。
人はそれほど馬鹿ではない。あの当時だって、わかってなにかに騙されていた人や全てを理解した上で死んだ兵士もいるのだ。

戦後の最も恥ずべきは、そういう”理屈ではない、人のこころ”の痛みを認識できない社会にある。いまの理屈でもって平気で過去の理屈を笑う態度は、卑怯卑劣だと知るべきだ。だから過去に学べない時代になったのだ。


      「心の時代」サンマー出版刊より

     2015-11-2

 









     松下村塾生のその後  

 

      
          塾生  松陰記念館より


 松下村塾は安政3年3月下旬・1856から安政5年11月下旬・1858までの2年と8か月あまりの短い期間です。
その間に下記のように90名ほどが学びました。

  松下村塾生 一覧
   http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/bakuhan/jinbutsu/syokasonjyuku.htm


  塾生総数      91名

  維新で死亡     15名
  明治に官で活躍   27名
  明治に民で活躍   7名
  行方不明 ・病死   16名
  記録不明        26名

 松陰は偉大な教育者であり、維新の功業を成し遂げた革命家でもあります。また考えようによっては偉大な宗教家だともいえます。なにせキリストのように死してから、それを契機として、弟子たちの大活躍があるのですから。
 また、塾生の適切な人物評も残しています。 松陰がそれで大きく評価した弟子たちは維新の前に死亡しています。
 明治の元勲山県有朋がわずか2か月の在塾期間であったのには驚かされます。その彼も盛んに松下村塾のことは述べたといいます。その短い期間にどれだけの教育ができたのだろうかと疑問をもちますけれども。
 松下村塾いに学んだ塾生のことについてまとめてみました。

 現代の似たような名前の志の無い政治家を輩出した政治塾とは大きな違いがあります。



 主な塾生

 氏名     在塾期間     その後


  1. 維新で死亡した塾生



 
 高杉晋作  俗論党を破り藩論を討幕に統一、四境戦争に勝利した。

 
 赤根武人  2年5月  第3代奇兵隊総督、高杉と意見衝突、処刑される

 吉田稔麿  2年2月  池田屋事件で死亡
 松浦松洞  2年2月  松陰の絵を残す。尊王攘夷のために切腹して諫める
 杉山松介   4月   池田田事件で死亡


 
 久坂玄瑞  2年5月  禁門の変で自決

 
 寺島忠三郎  8月  禁門の変で久坂と自決

 
 入江久一   4月   禁門の変で死亡

 大谷茂樹  7月  俗論派により切腹

 有吉熊次郎  1年6月 池田屋事件生き残る、禁門の変で自刃

 阿座上正藏  1年2月 禁門の変で自刃

 広勝之助    9月  禁門の変で藩兵をおさえるのに失敗で自刃


 
 時山直八   8月   北越戦争で戦死、奇兵隊参謀

駒井政五郎  1年2月  八幡隊総督 函館戦死

 飯田正伯    4月 御用金目的で金品強奪して獄死


 
 前原一誠  1年1月   明治9年 萩の乱で死す





  2. 明治で政界・官界で活躍した塾生

 
  
 国司仙吉  1年9月  秋田県令

 
 品川弥二郎 1年2月  子爵

 
 伊藤博文  1年2月  初代内閣総理大臣
 
 
 飯田俊徳  12月  米蘭留学へ、鉄道長長官

 
 松本鼎   1年     和歌山県知事


 
 河北義次郎  8月   米英留学して外交官

  
 山田顕義  11月    用兵の天才、司法大臣、法典編纂に尽力

 
 野村和作・靖 11月  神奈川県令、逓信大臣

 
 山県小助・有朋 2月  元老、内閣総理大臣


 滝弥太郎  1年  奇兵隊総督、脱退騒動鎮圧、岡山地裁裁判長

 
 岡部富太郎  1年 四境戦争、戊辰戦争を転戦

 岡部繁之助  2年 富太郎弟、工部省製作所長

  
 正木退蔵    4月 東工大初代校長、再度渡英

 
  
 天野清三郎・渡辺萬蔵  安政4年冬入塾  脱藩密航して欧米で実務的に勉学
                 長崎造船所長、日本郵船社長

 
 尾寺新乃丞  1年2月  司法省・工部省、伊勢神宮神官に任命

 久保清太郎  1年7月  三重県度会県令





 3. 明治に民間で活躍した塾生


 
 山根考中  2月  36歳入塾、戊辰戦争で敵も治療した医者

  
 小野為八  2月   奇兵隊の砲術指導

 
 増野徳民  2年2月  最初の寄宿生、 医者

 
 大賀大眉  1年10月  奇兵隊援助・後方支援 御用商人となる







  写真は萩博物館より転載したものがあります。

  松陰の兄の民治は明治13年に松下村塾を再開しています。しかし漢学を中心とした教育は、欧米化のすすむ時代のなかで若者の支持を得ず、明治25年ごろに塾を終えます。 民治は明治40年のころに、松陰神社に参拝に来た孫のような若者に「善い人におなりなさい」と言って声掛けしたといわれています。 松陰が考えていた学問の姿は・人たる所以を学ぶなり・ということです。 えらくなられるのではなく、勉強して善い人におなりなさいと言ったそうです。留魂録のところにも同じことを書きましたが、教育の目的はこの言葉でしょう。


             2015-11-15

   



    幕末志士伝   悲運の志士たち 












     慶応大学入試  

 
 タンネンベルク殲滅戦の戦いを調べていて下記のような慶応大学の入試要項を見つけました。 子供の受験にも縁がなく、爺爺の時代とは大きく変わってしまったようです。
 慶応では何かFIT AとB方式、一般方式などあるようですが、理解できていません。 

 入試要項によると講義のテーマを聞いて、設問に答えるようです。 ちょっと見に講義のテーマを小論文に出すのかと思い、これで合格できるレベルのものを提出できるなら、スゴイことです。大学教養の歴史の授業は受けなくてもよいでしょう。
 設問が講義の論点をまとめて、見解を小論文書くことのようです。そのテーマもあらかじめ試験前に提示されているようですので、事前の試験対策はとれるでしょう。 大学が受験性に求めるのは講義についていける能力の有る無しではないのでしょうか?

 爺爺には、すごいことを小論文の問題で書かされるのかと勘違いしましたが、爺爺の受けた暗記中心のオールド入試・日本史の問題にくらべれば、はるかに進歩しています。

 さすがに理科の問題は慶応法学部では問われませんが、この入試を受けるための成績に数学の良好な成績を求められます。文系には数学を求めなくてもよいのではないでしょうか? 経済学部ならまだしも。

 本当に一番困った問題は、やはり学費の高額なことでしょうね。 笑い.....



2014年9月20日(土)に実施された慶應義塾大学法学部FIT入試(A方式)の 第2次選考の概要は、次の通りです。

  • 模擬講義の概要
  • 講義のテーマ:第一次世界大戦と日本−日本陸軍に与えた影響を中心に
  • 講義の概要:
  1. 第一次世界大戦とは何か
  2. 第一次世界大戦は日本にとって「対岸の火事」にすぎなかったのか
  3. 日露戦争は第一次世界大戦とどう関わるのか
  4. 日本陸海軍は第一次世界大戦をどこまで研究したのか
  5. 「総力戦」とは何か−エルンスト・ユンガーの「総力戦論」を紹介しつつ−
  6. 日本陸軍は「タンネンベルク殲滅戦」をなぜ絶対視するに至ったのか
  7. 満洲事変はどうして計画されたのか
  8. 日本の「第一次世界大戦経験」は第二次世界大戦に結局どうつながったのか

*大学1年生が受講して理解できるレベルの講義(50分)を行う。


論述形式試験の概要 論述の設問内容: 

「持たざる国」、日本が無謀な第二次世界大戦に乗り出していったのはなぜか。従来の定説を覆そうとしている講義者の主張の要点をまとめ、それに対するあなた自身の見解を述べなさい。
  • 解答の形式:A3レポート用紙形式・字数制限無し。
  • 試験時間:45分


グループ討論の概要 テーマ(法律学科):

『近年、インターネットの普及により、様々な情報の入手が簡単になった反面、中高生のネット依存症が問題視されたり、学校で課せられたレポートや論文を安易なコピー&ペーストで作成したり、コミュニケーションツールのアプリケーションを利用して犯罪に巻き込まれるなどの事件が発生し社会問題化しています。
インターネットと賢くつきあっていくためには、どのレベル(たとえば政府、学校、家庭、あるいは個人など)でのどのような対応が必要になってくるでしょうか。自由に議論してください。』
  •                 
  • テーマ(政治学科):
    『鯨や犬など特定の動物を食材とする文化を持つ人びとに対して、そのような文化を持たない人びとから批判が投げかけられることがあります。この例に見られるように、ある文化の習慣がそうした習慣を持たない他の文化から批判される場合、当の文化に属する人びとは、批判に対してどのように応答していくべきでしょうか。自由に議論してください。』
  • 司会者の有無:監督者は、進行とタイムキーピングのみを行い、受験生の自由な議論にまかせる。
  • 討論時間:約45分
  • その他:討論の開始前に一人ずつ2分で自己アピールを兼ねた自己紹介を行う。


               2015-11-7


 









     天野清三郎 (渡辺萬蔵)  

             松下村塾生 その1

  

   「中々奇物、他人未(いま)だ深くは取らず、僕独りこれを愛す」 松陰談

       
           1843-1939

  安政4年・1857に有吉熊次郎に誘われて14歳で松下村塾に入る。勉強嫌いであったが、松陰からは愛されて高杉晋作宛の手紙にめんどうをよくみてやってくれと書いている。

 塾が閉じた後で長州の軍艦にのり江戸に行く。久坂玄瑞らと尊王攘夷運動に加わる。 しかし、政治運動には向かないと自覚した。それで脱藩し密航して上海に逃げた。また藩命により米国に留学した。その後イギリスに行き、グラスゴーで造船所で働きながら船つくりを学ぶ。手先だけでなく学問も船つくりには必要だと感じて、昼間働きながら夜学に行き学びました。3年たちまだ不足で米国のボストンに渡り、働きながら学びました。明治6年に帰国して日本の造船業を起こし、長崎造船所の初代の局長になる、日本郵船の社長をも務めた。
 松下村塾の保存事業に尽くします。

 幕末期に留学した人は才能・能力の高かったが故でしたが、天野清三郎は実務をこなしながら、必要な学問・理論を夜学に通うなどして学んで帰国しました。机上の学問のみでは、明治の貢献には役立たなかったでしょう。もちろん志のない人では尚更です。


 1857・安政4    松下村塾に入る
 1858・安政5    11月下旬に閉塾
 1860・万延元年  丙辰丸の江戸行に参加
 1863・文久3    奇兵隊に入る
 1864・元治元年  
 1867・慶応3    藩命により兵学修養のため長崎派遣,英米国留学 

 1873・明治6   帰国、 工部省に入る
    明治12  東洋1の立神ドック完成
    明治16  日本最大の木造船小菅丸完成、 長崎造船所初代局長
    明治24  49歳で官を退職し、日本郵船社長を勤める。
    明治25  松下村塾の保存事業に尽くす。
 1939・昭和14  死亡

         2015-11-29

















 運動会の中止

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